あれよあれよと9月29日になってしまった。
明日が9月最後の日。
バイト終わってそのあと休みながらも絵は描いていた。
あと農作業を手伝ったり。これがよい気分転換にもなった。
「ドローイング文通展」という東京のカフェで開催している展示にも今参加している。
今日が最終日。
企画を聞いたときは観に行きたいなあと思ったけど(今でも思ってる)
なかなか難しかった。
ので、制作はやらんとなと思っていた。
月末になると「お疲れ様」と「時の速さ」がガっと来る感じがする。社会人になったらほんとにその感覚、毎月毎月それ自体がお疲れ様だなと思うほどに。
バイト終わったあとのよい予感については、
いいことも残念なこともあったけど、なんかどっちもガっとは来なかった。
日々のあれこれで平たくなっていったりする。
ありがたいやら少しむなしいやら。
SNSを見ていると、わりとそのいいこともわるいことも平たくなっていく感じになることが多い。
すごい残酷なニュースのあとにごはんの画像、
アイドルの自撮りのあとに誰かの「リストカットしてしまった」のツイート、
素晴らしい作品の画像や告知の後に政治家の不祥事のニュース、
なんかずーっとスクロールしていくとどうでもよくなっていく。
自分の状態やおかれた環境により、それがSNSの面白さだと感じたり、
つまらなさやだささだと感じたり、何も感じなくなったり。
SNSとはどう付き合っていくか、みたいなのは私が言うことではないけど、
日々の、日常の中で、感情や物事が平たくなっていくのに
それらが入り込んでいるのは確か。
でもそうやって平たくなっていったものをたまにクローズアップして見てみたくなって
よく見てみたら穴が開いていたりザラザラしていたりしわくちゃだったり
部分部分汚れていたり、そもそも喪失していたりもする、
そういうことをふとしてみたくなって
さっきドローイング文通展で展示されている絵の画像を過去のフォルダ探って
絵の描かれた日付見たら去年の9月29日だったんです。
日付は完全に忘れてたのですが、これ描いて1年、と思ったら
その間に結構絵を描いたな、と感じられてすごくよかった。
実感。
ふと実感を得られていい感じでガっと来た。
こういうことがあると人間は色んなことを感じるために生きているのかもしれないと思う。
自分の内側で得た実感てのはほんとに大きい。
感情も出来事も実は表面で、それらが何を意味していたかは平たくなったあとにふと内側で爆発するのかもしれない。
クリアでツルツルしていてそれは思ったより軽いけど大きな。
Comments